1966年、『小松 久』を中心に結成された、ヴィレッジ・シンガーズ(The Village Singers)は小松作曲によるオリジナル「暗い砂浜」(CBSコロムビア)でデビュー。 当初は4人組であったが、第2弾「君を求めて」の発売後メンバーチェンジを行い、リードヴォーカルに『清水 道夫』を迎え第3弾「バラ色の雲」をリリース。斬新なメロディーとヴィレッジのクリーンなイメージが功を奏し、またたくまに60万枚を売り上げる大ヒットとなる。名実共に日本の代表的フォーク・ロック・バンド誕生の瞬間であった。 「好きだから」「亜麻色の髪の乙女」と立て続けにヒットを飛ばすヴィレッジ・シンガーズ。 結果、彼等の最大のヒット曲となった、新メンバー第3彈シングルに当たる「亜麻色の髪の乙女」は、“グループ・サウンズのひとつの楽曲スタイル”を確立した代表曲、そして永遠の名曲となる。 1968年3月には初のアルバム(LP)「グループサウンズの貴公子」を発表。絶頂期を迎えた彼等は、まさに“グループサウンズの貴公子”であった。 他にヴィレッジの活躍が目立ったのは映画の出演で、「思い出の指輪」「虹の中のレモン」「落葉とくちづけ」の3本では“主役”を演じ、興行的にも大成功を収めた。 1971年6月グループサウンズ・ブームの終焉と共にグループを解散。 ・ ・ 1993年『林 ゆたか』が総合プロデュースした、“Oldies Live House KENTO'S”にて復活ライヴ。 もちろん会場は1960年代にタイムスリップ、大盛況であった。 以降、ヴィレッジ・シンガーズとしては活動を休止。 2002年「花王石鹸」のTV-CMソングとして「亜麻色の髪の乙女」のカヴァー曲が使用され大ヒットする。 カラオケ店では「亜麻色の髪の乙女」が10週連続1位を記録。 当然、オリジナルにも注目が集まり、“亜麻色の髪の乙女”を含む6曲入りCD『バラ色の雲/ヴィレッジ・シンガーズ』(MHCL-38) は、新たに1万枚のセールスを記録している。 カヴァー、リバイバル・ヒットに対しての『清水 道夫』のコメント 「僕らの8ビートを16ビートに変え、ハワイアン調のいい曲にしてくれた。曲に生命力があったからこそのヒットですし、素晴らしいこと」 そんな中、夏、熱烈な要請に応えて、NHKの夏の大型TV番組「思い出のメロディー」に出演。実に31年ぶりの公式(?)再結成、TV出演であった。(全て生演奏) メディアは、彼らの再結成を予想をはるかに上回る規模で取り上げ、さらには、1960年代を知らない若い世代にも好意的に迎られたのである。 番組の為の一度きりの「再結成」であったが、全国のホテル、ディナー・ショー・プロモーターからの強い要望が相次いだ。12月には現役時代にも経験したことのない“ディナー・ショー”に出演、好評を博した。 その後、本格的に開始した訳ではないが、「楽しみながら、たまに、また演ろう」「ファンの皆さんとともに素敵なひとときを過ごせたら」いうスタンスで、Live活動を再開。 そんな中、2003年12月17日、「亜麻色の髪の乙女/バラ色の雲」、1960年代には成し得なかった2大代表曲のカップリング・シングル CD(TECA-10614)をリリース。 しかし、ただ単に当時の音源を再発売したものではなかった。 オリジナル・レコーディング・メンバーが全員集結し、現在の音響・録音技術で全ての音を再録音した、“ニュー・レコーディング・ヴァージョン”だったのである。 当時からのファンには、もちろん素敵なプレゼントであると思うが、ヴィレッジは“今”も生きていることを証明してみせたのだ。 2004年12月2日、冬のツアー開始に合わせ、新しく発足させた自身のレーベル『Music Village』より「The Village Singers' THE OFFICIAL BOOTLEG #1〜#3/公式海賊盤 」(MVCP-5001~3) 、3種同時発売。 各4曲収録のこのマキシ・シングルCDは、全て2003年〜2004年の公演の模様を収録した“ライヴ盤(実演録音盤)”である。 2009年11月21日、『Music Village』より「この花/僕たちに乾杯 」(MVCP-5004)発売。 小松久 作詞作曲の、なんと約40年ぶりの「新曲」2曲を含む6トラック入りマキシ・シングルCD。 2015年04月15日、iTunes Store(アイチューンズ・ストア)より、音楽ダウンロード開始。 2003年からCDにて発表した音源をまとめ「公式海賊盤 #1, #2, #3」「GSの貴公子 亜麻色の髪の乙女」として発売。 「ヴィレッジの軌跡」はまだ完結していない。 |
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